初心忘るべからずって、

先日、僕の指導者としての原点である
某スポーツクラブの元同僚と試合会場で一緒になりました。

このクラブは幼児体育を主に県内の幼稚園、保育園、こども園等で体操、サッカー等を指導しています。

今でこそ幼児のスクールは一般的ですけど当時は競合他社もそれほどなく
園としても体操、サッカー教室をやっていることが一つのセールスポイントとなっていました。

 

このスポーツクラブが僕の指導者人生の始まりです。

指導者と言えばサッカーにおいても
父親コーチ、ボランティアコーチ、専門コーチ、アルバイトコーチ、契約コーチなど
様々な形でその体系があるわけですが
指導の質でいくと
やはり指導で飯を食っている人間はそれなりにいい指導をします。

いい指導=会員数
みたいな感じですね。まぁそこだけではないですが。

 


初心忘るべからずという諺があるように
長くその道で活動をしていると
どうしても昔の志や気持ちは忘れがちになります。

時代の変化やニーズに対応させることも大事なのですが
初心や基本、本質というところは
変わってはいけないんですよね。

そういった意味で15年ぶりに同僚、先輩に再開できたのは
僕にとって改めて指導を見直すいいきっかけになりました。

初心忘るべからず

後述しますがこの初心忘るべからずという言葉、一般的には

時や経験を重ねるとそれに慣れてしまうので、物事を始めた頃の志や新鮮で謙虚な気持ちというものを忘れてはいけない

こんな感じで解釈している方も多いかもしれません。
実はこの意味はもっと深いところにあるんです。

 

この言葉は自分は指導者1年目に先輩に教えられた言葉なんですが
指導者に対してあまり深い思いもなく
軽い気持ちで指導者になった自分にとって
先輩の方々から指導者としての根本的な事を一から叩き込まれました。

指導者は子供に教えられることで成長する

相手は幼児です。
大人が普段使う言葉は通じないし子供は理解できないことは当然できない
動かない、わかってもらえない、通じないのオンパレードです。


「つまんない」この言葉はトラウマです。

1年目、2年目はホントに子供たちから正直な感想を多くいただきまして
どうしたら子供が動いてくれるか
どうしたら子供が笑ってくれるか

上達とかできるとかよりも
時間内に計画した指導を進めていくことでいっぱいいっぱいでしたね。

それが3年くらいたって
ようやく指導らしい指導ができるようになり、
子供の動きや行動、反応を予測できるようになってきたり。

 

もちろん今でも指導者としてはまだまだなんですけども。

で、初心忘るべからずの本当の意味はここにあるんですね。

この言葉を使ったのが世阿弥という室町時代の能楽者なんですが
彼が本来そこで伝えようとしたのは

「習い始めたばかりの頃の自分のみっともない姿や苦労したことの一つ一つを忘れるな」
「初心忘るべからず」の意味変化の考察
http://sankakudo.blog.fc2.com/blog-entry-15.htmlより引用

という意味なのです。さらに

「芸を初めて何年になっても、その時々に初めての課題に突き当たる。それを時々の初心(の状態)という。若いときには若いときの、老いたときには老いたときの初心がある。それを忘れず、そのときの苦労やみっともない状態を現在と比較して自分を顧みれば、今自分がどのように成長しているのかを正確に認識することができる。」
「初心忘るべからず」の意味変化の考察
http://sankakudo.blog.fc2.com/blog-entry-15.htmlより引用

初めの頃の未熟な姿を忘れずにいると
その時々にある壁や課題が
自分の成長であり
その壁や課題が初心となって
次の成長につながるというわけですね。

 

ベクトルを変えること

自分の指導が絶対だとは思っていませんし、
もっといい指導をしたいと思っています。

でも指導の本質は

「子供の為」であり
けっして自分のエゴの為の指導であってはならないんですね。

 

好きな事はちょっと聞いただけでそのあと何度か練習してできるようになってく。
楽しいと集中力
これが可能性

子供がそれを好きになる事が
一番の上達方法であり
大人がとやかく言ったところで
子供が好きでなかったら限界があるんです。

 

指導とは教えるのではなく
「子供がそれを好きになる」という方向に向けること。

これが子供の可能性を引き出す一番の良い指導なのかもしれませんね。

 

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